高校生の時、社会人になるイメージを固めるのはとても難しいです。
アルバイトなどを通してなんとなくの社会人のイメージを抱く学生はいますが、少なくとも私は高校生の時も大学生の時も、社会人になった自分をイメージすることは出来ませんでした。
しかし実際、社会人になってみると学生とは大きく違うと感じることがとてもたくさんあります。
今回は、高校生と社会人の違いについて個人的に思うところをピックアップしてまとめました。
社会人になることに不安を感じている高校生たちはどうぞ参考にしてみてください。
元予備校講師の営業マンです。
高校の非常勤講師、学習塾・予備校の講師の経験を活かして大学受験に関する記事を執筆しています。
責任を取ってくれる「誰か」の存在
高校生の場合、何かをしたときの責任を本人が取らされることはまれです。
例えばですが、補導されたときは保護者が来て警察から引き取ってくれます。
しかし、社会人の場合はそのまま拘留、時には逮捕されてしまうかもしれません。
学生は保護者の庇護下にあり、学生本人の責任の一端を引き受けてくれているのです。
一方、社会人は自身の行いのすべてに責任が伴いますから、不測の事態が起きても自分主体で解決しなければいけません。
経済的に困窮しているときも、何か事故に巻き込まれてしまったときも、すべて自己責任・自己解決です。
何かあった時に責任を取ってくれる「誰か」がいるかいないか、これは生活するうえでとても大きな違いです。
時間や遅刻・欠席について厳しく問われる
高校生時代に、友達との約束を忘れたり、あるいは遅刻してしまうことはしばしば聞く話です。
学校でも、遅刻寸前もしくは遅刻を繰り返してしまうこともあるでしょう。
それでも学生であれば、基本的には口頭注意されるだけで終わるはずです。
しかし、社会人になっても同じことを繰り返した場合、クビになってしまうかもしれません。
日本においては、社会人は時間や約束について厳しく問われます。
「〇日までに△個の製品を納品します」と約束し、
その約束が守れないときは相手や自分の会社に損害を与えてしまいますから
、社会人になると「期日」は絶対に守らなければいけないものなのです。
また、「約束した時間も守れない人・企業は信用できない」という理由で取引を中止されることすらあります。
社会人は、学生に比べて時間に対する緊張感が段違いなのです。
自分で仕事を選ぶ権利・仕事に関する義務
高校生までは選択の幅が限られています。
受験で行きたい高校を選ぶ、高校の選択科目を選ぶ、大学進学か就職かを選ぶ。
これらの選択自体はその後の人生を左右する重要なものですが、社会人になると選択の幅が大きく広がります。
社会人はどの仕事に就き、どの働き方を選ぶかは本人の自由です。
他人に強制されるわけではなく、自分で働き方を選択できるのが社会人の権利なのです。
一方、社会に出て働くということは、会社の利益を上げるために自分の労働力を提供することです。
もっと簡単に言うと「給料をもらった分は働かなければならない」ということです。
つまり、仕事に対する義務ですね。
権利と義務、この関係は仕事だけに当てはまることではありません。
「権利を守るために義務を果たす」という考え方が重要になるのです。
お金に関する責任
あなたが通う高校がアルバイトを許可していれば、アルバイトからの収入が大きいかもしれませんが、
基本的に高校生までは保護者の方からもらうお小遣いが主な収入源のはずです。
そして勿論、お金を何に使うかは学生の自由ですし、社会人になってもその点は変わりません。
しかし、問題は支出ではなく収入の面です。
社会人になると、自分の力で生活費を稼ぐ責任が出てきます。
もし実家を出て一人暮らしをするとなると、家賃・光熱費・食費・交通費・交際費などによってあっという間に稼いだお金が消えていきます。
高校時代にアルバイトをしていた人は、もしかしたら高校時代よりも自由に使えるお金が少ないかもしれません。
高校生の勉強と社会人の勉強は違う
高校生の受験は定期テストや受験勉強など、何かしらの正解を導き出すためであることが多いです。
社会人の勉強は、明確な答えがないことも珍しくありません。
たとえば、あなたがアパレルショップの店員さんになって、毎月100着の服を売らなければいけないとします。
その店の月に売れる服は60着くらいです。あと40着売るためにはどうすればいいでしょう?
「店員Aさんは、毎日のようにチラシを配りに行きました。」
「店員Bさんは、接客のトークが上手になるように本を買って勉強しました。」
店員A、店員B、どちらも「40着の服を売る」という問題を解決するために行動したわけですが、二人の行動は異なります。
問題解決のためのアプローチは無数にあり、正解は一つではないのです。
この場合、店のある場所や客層、店員たちの努力量などによって、どちらの行動が有効か変わってきます。
そして、より効果があった(正解に近かった)のはどちらなのかが結果から分かるのです。
もう一つ例を出しましょう。
パリで人気ナンバーワンのフランスパンのお店で修業した人が東京の人通りの多いところで開店しましたが、最初は売れなかったそうです。
せっかく焼いたパンを廃棄しなければならないことに心を痛めたオーナーは、店の前にワゴンを出して無料でパンの試食会を始めました。
最初の数か月は全く成果が出なかったそうです。
しかし、パンを配っていたことは無駄ではありませんでした。
数か月後、その時の味を覚えていた人が「また食べたい」と店に来るようになりました。
これらの例からも分かるように、
社会人として大事なことは正解がないことに対して、どれだけあきらめずに挑戦し続けることができるかということです。
これは、高校までの正解が見えている勉強とは全く違うものなのです。
新社会人になってすぐの頃は、
「何かを間違えてしまうかもしれない」と漠然とした不安を抱くことが多いかとは思いますが、
それで臆病になってしまうのではなく、早く経験を重ねるという意味でも思いきって積極的に行動してみてほしいと思います。